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日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills 2012

初タイトルを狙う、藤田寛之

先週のダイヤモンドカップでも、握手も熱い抱擁も、記念撮影もなかった。だから3日遅れの2ショット!
藤田が“日本”と名の付くタイトル、いわゆる“メジャータイトル”に並々ならぬこだわりを口にし始めたのは、ツアーは通算7勝目をあげたあたりからだっただろうか。

「そろそろ、僕もそこを目標にしても良い頃かな、と」。藤田はそれでもまだ、遠慮がちに公表したものだが、専属キャディの梅原敦さんは、初めてバッグを担ぐことになった14年も前から藤田の熱い思いを知っていた。

「僕も、キャディとして藤田さんの目標を支えられたら」。

ひそかにそんな思いを抱いて今週も、藤田のかたわらで足並み揃えて梅原さんは歩く。

この14年間で、コンビ解消の危機は二度あった。
最初は2001年。キャディは選手の稼ぎによって、収入が変動する不安定な仕事である。梅原さんの将来を懸念した藤田は「安定した職についたらどうか」と転職を勧め、一度は梅原さんも承諾した。

しかし、「やっぱり藤田さんのキャディがしたい」と、翌年には“再就職”を申し出たという経緯がある。
そして、2度目は2009年。最終戦の日本シリーズJTカップで梅原さんが、長く連れ添った気の緩みから、大げんかの末に、藤田のキャディバッグを強く叩いてしまった。あとで、自分がしでかしたことの重大さに気づいた梅原さんは、けじめの“辞職”を申し出た。そんな顛末が、2人の絆をいっそう強くしたのは間違いない。

「今では、何も言わなくても藤田さんが考えていることがなんとなく分かる」と、梅原さんは言う。コースでは、あうんの呼吸で選手の気持ちを読んで、話しかける言葉のトーンや内容を、さりげなく使い分ける。

「昔は気合いを入れて、藤田さんがショットを打つときに、『GO!』とか、大声で言ったりもしてたんです」と、梅原さんは笑う。
「でも藤田さんは、そういうタイプじゃなかった」。

今でも梅原さんが、舌を巻くことがある。
「ピンチでも、チャンスでも、藤田さんはどんなときでもまったく表情が変わらない」。
コースを離れても、それは同じで以前、ポケットや鞄を藤田がゴソゴソし始めた時のこと。
「どうしたんですか」と梅原さん。
「いやあ・・・どうも財布がね。ないみたいなんだ」と、藤田はまるでこともなげに言ったという。
「財布ですよ、財布! 現金だけならまだしも、カードも免許証も入っている。僕ならパニックになってます。でも藤田さんはそんなときでさえも冷静なんです」。
以前は藤田がめったにしないOBをまれに打つと、「もうそれだけで慌てふためいていた」という梅原さん。
「そんなとき、藤田さんがぼそりと言うんです。『慌てるな、そういうときこそ落ち着いてやれ』と」。

聞けば昔から、そういう生き方を自分に強いてきたという藤田にたしなめられて、鍛えられ、梅原さんもキャディとして大きく成長を遂げてきた。
今季はすでに2勝も、確かにゲーム展開にもよるが、梅原さんも特に大喜びするわけでもなく、優勝の瞬間も互いに握手や抱擁もなく、勝者のかたわらで淡々とパターをキャディバッグにしまって・・・という、梅原さんの姿があった。

「いえいえ、でもこないだの全米オープンの予選会でプレーオフを勝ち残ったときは、お互いにハイタッチで大喜びしましたよ」と、梅原さんは笑うが、今は自分もテンションを上げ時か? それとも藤田とともに、静の姿勢を貫くべきか。選手の心の機微を瞬時に判断して、出来るだけ同じ気持ちで寄り添うことで、最高のパフォーマンスを引きだそうという梅原さんの無意識の判断力がある。

「体力的なこともあるし、このまま一生、藤田さんのキャディであり続けることには無理があると思う。将来のことは、まだ何も考えられないけれど、今は藤田さんのキャディとして全力を尽くしたい」。最高の相棒に支えられ、藤田が2週連続Vのメジャータイトルを狙っていく。
  • 水曜日の練習ラウンドも淡々と。選手の1週間のルーティンも知り尽くしている。あとは開幕の時を待つばかりだ。

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