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ダンロップ・スリクソン福島オープン 2016

これでは戻すに戻せない?!  ゲンちゃんこと時松隆光(ときまつりゅうこう)がツアー初V

みんな自身のプレーを終えると、続々と集まってきた。「18番でゲンちゃんに水をかけるんだ」と企む仲間たちだ。手に手にペットボトルを握ってワルい顔。みんなで場内のテレビモニターを見上げていた。歓声が上がった。17番で、7メートルをまた入れた。また伸ばした。これで完璧に決まった。3日目を5打差で終えた時点で、すでに誰も疑わなかった初Vだ。

「ゲンは俺なんかより、昔からうんとパットが上手かった」とは同期の川村。「というよりゲンは、すべてにおいて上手い」とは、やはり同期の浅地洋佑。「ドライバーは曲がらない。アイアンは、ピンを刺す。勝って当然の選手」と浅地も言った。

前夜の夕食で「18番を余裕で上がって来てね」と川村は励ました。大親友との約束を果たした。2位に3打差つける通算25アンダーの快勝は、大会の最多アンダー記録も塗り替えた。

ウィニングパットを決めるなり、みんな待ちきれずに飛び出した。グリーンサイドで頭から浴びた仲間たちの水シャワー。ずぶ濡れの表彰式では開口一番。「時松です」と、丁寧にまずぺこり。「二部ツアーから、やっと一部に上がってきたような選手です」と、恐縮しきりの自己紹介だ。

今月最初に出身の福岡で行われた「ジャパンクリエイトチャレンジin 福岡雷山」で勝って、今大会の権利を得た。その翌週には日本プロ。予選を伊澤利光と回った。憧れの選手に褒められさらに自信をつけた。「伊澤さんが“時松くんのゴルフに学んだ”と。嬉しかった」と、“チャレンジ優勝枠”からツアー初Vにこぎつけた、史上最初の選手となった。

「福岡雷山と、ジャパンクリエイトの五十嵐社長にも、改めて感謝したい」と、またぺこり。「僕のレベルでも勝てるんだ、と。回りの人たちにも良い刺激になる」と、謙虚に言った。

「ツアーは先に僕が勝ちましたけど、ゴルフのレベルはゲンが上」とツアー1勝の川村が、改めて時松を評した。「ゲンは、あとはメンタルだけだった」。ナショナルチームの頃からそうだった。「あいつはすぐに“僕なんか”と謙遜するから」。ジュニアの頃から追い込まれると弱かった。「すぐに勘違いして図太い僕に比べてゲンはちょっとのミスで暗くなる」。
この日も本人は、「5番、6番あたりからチグハグだった」と悔いていた。5番と7番では、暫定球を打った。いずれも2メートルのパーで命拾いも、6番パー4では同じ最終組の岩本が、2打目を入れるイーグルで2打差に迫った。

「体がついてこなかった。今日は明らかに昨日までのゴルフと違った。緊張していた」。結局、3打差で振り切っても「この優勝はたまたま」と冷めた顔で言い張った。
「あれだけの差で出たのだから。本当なら前半で2位との差をもっとつけて大量リードで後半に入らなければ」と自分に厳しい。
まだ本人には記憶のない幼少期に、重い心臓病を煩い手術を受けた。
「心配しましたけれど、今は全然。おかげで、あの子はゴルフに出会った」と、母親のたか恵さん。きれいな空気を吸わそうと、トップアマの父・慊蔵(けんぞう)さんが、5歳でクラブを握らせた。
徐々に健康を取り戻して、沖学園高3年時には毎年の定期検診も要らなくなった。卒業と同時に川村や浅地らとデビューしたのが2012年。あれから5年。昨季のファイナルQTは75位だ。今年は出番もほとんどなく、「まずはQTでもっと上に行き、早くシードをと思っていたのが、ちょっと違う形になった」と、本人にはやにわに転がり込んだ初勝利。手にしたチャンスを最大限に生かして、目標以上の結果が出せた。周囲の評価に反して「思っていたより僕にこの結果は早かった」。息子の快挙に喜ぶより「本当に大変なのはこれから」と、硬い表情の母にしてこの子ありだ。

コースでも、謙虚な姿勢を貫く。勝ってもガッツポーズを握らないのは、コーチの教えだ。小学生から指導を受ける。当時、たたき込まれたグリップは、野球のバッドを握るのと同じ超・変則型だ。回りの先輩プロに「かぶせて構えろ」と、しきりに普通のグリップを勧められても「かぶせると当たらない。今のほうが怪我も少ない。イメージも出る」と、頑として押し通した。篠塚武久コーチはいつも言う。「コースと友達になれ、と。ガッツポーズは、コースに逆らうことになるから」と、最終ホールで拍手喝采浴びてもいつものとおり頑として、個性的な帽子のつばに、ちょこんと手をかけ応えるにとどまった。

親しい仲間が今も「ゲン」とか「ゲンちゃん」と呼ぶのは本名が「源蔵(げんぞう)」だから。デビュー時に、僧侶から頂き今の登録名にした。「隆光(りゅうこう)」も悪くはないが、友達にはずっと「ゲンのほうがいい」と言われていた。確かに、せっかく両親にもらった名前。「源蔵のほうが、覚えてもらいやすいし宿泊先とかで、本名と違うと身分証明を求められたり今まで面倒もあったので」。そこは柔軟に来季には、戻そうかと思案していた矢先に初優勝をしてしまった。

「この名前で勝たせてもらったし、ギャラリーの人たちにも“りゅうこう”で知られてしまった。また変えたら迷惑がかかるし、どうしよう?!」。ちょうど4年後のこの日、東京五輪が開幕する24日にゲンちゃんが嬉しい悲鳴を上げた。「そのとき、候補に挙がるくらいの選手になれるように頑張る」と見据えた2020年。実現したら、どちらの名前でエントリーをしようか。

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